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第18回IPPNW世界大会(インド、デリー)の報告    武田勝文

平成20年3月8日から11日までインド、デリーで開催された第18回IPPNW世界大会に反核医師の会より参加した。関空からは14名が参加、成田発の6名と現地で合流する予定であった。8日(土)13時出発予定のインド航空(AI)315便は30分ほど遅れて関空を離陸し、香港で1時間の給油後デリーへ離陸する予定であったが、いつまで待っても離陸することなく、機外へだされ待合室で待機させられた。機械的なトラブルということであったが、何時に出発というアナウンスはなく、次回の情報発表時間を提示するのみであった。夕刻になり空港内レストランでの食事券が配られカフェテリアで簡単な食事を済ませたが、まだAI315は飛び立つ気配はない。とうとうその夜は空港内のホテルで一泊することになった。翌朝になっても事態は変わらず、結局まる一日遅れの16時にやっと離陸した。添乗員が不在で英語力の不十分な慣れないグループはこういう事態において大変困難な状況に直面する。まして国籍の異なる200人以上の他の乗客に対しても情報が徹底せず一人の女性職員にそれぞれの乗客が一斉に質問するなど混乱に輪をかけ非常に不安な状態が長時間続いた。この間、団体で行動したが、香港でのAI職員との交渉に1番奮闘していただいたのが通訳の重松、野田さんであった。9日の深夜ちかくデリーに到着、サムラートホテルで成田発の6名と合流できた。遅い夕食(この日は4回目の食事)を食べながら結団式を兼ねて自己紹介し、ホテルの部屋で就寝したのは12時を過ぎていた。本当に疲れ果てた一日であった。

というわけで世界大会の第一日目の開会式、全体会議には参加できなかったが、出席できた全体会議、分科会及び関連資料から報告と感想を述べる。プログラムによると3月2日インド・パキスタン国境の町から、学生による平和行進がスタートし5日にデリーに到着した。6日から8日にかけては医学生会議やIPPNW理事会などが開かれた。当地のニュースによると9日の開会式にはインドのハミッド・アンサリ副大統領が出席、演説をした。そのなかでインドはガンジー以来、非暴力、核の脅威のない世界を望んでいる、同時に軍縮は国際関係における相互の信頼が必要であり、普遍的で公平な立証可能な核兵器禁止措置が核兵器廃絶につながるものであると強調した。核兵器使用の恐怖は全ての国に、核軍縮の必要性を確信させるものであり、全ての核兵器保有国が核廃絶を確約することを再確認することが不可欠であるとした。これはまさに正論であるが、インドのこれまでの核政策とは全く矛盾するものである。これは11日の全体会議「国会議員、政治家との対話」でもインドの保健大臣がスピーチした内容と同じである。1988年インドのラジブ・ガンジー首相は国連総会で核兵器のない世界の実現を提唱した。しかしインドは1998年核実験を強行し核保有国になった。この矛盾に対して大臣は核兵器を国連安保常任理事国である5カ国が独占している現状は不公平である。さらにインドは隣国の核保有国である中国、パキスタンとは相互の信頼関係が、まだ構築されてないことを挙げた。しかし、この釈明は多くの非核保有国を納得させるものでなく、インドの身勝手な独善主義が前面に出ているといえよう。インドが核保有国になることがNPT体制をどれだけ骨抜きにし、世界が不安定になったかを考えると、インドは核政策を誤ったとしか結論付けようがない。これに対してIPPNW世界大会参加者から当然、異論が出るものと思っていた。しかし開催国に配慮したのか反論は全くなく、カナダの議員はインドの立場を理解するスピーチをした位であった。10日、最初の全体会議のテーマは「グローバル化、軍拡、戦争の根源的原因」の中で今までは原油の争奪が戦争の原因であったが、これからは食料、水の確保が差し迫った問題となり、争いの火種となるであろうという発言があった。それは中東やトルコで現実の問題となっているし、インドでも核エネルギーを維持するためには冷却水が不可欠である。また市場原理主義の下で暗躍する多国籍企業は利害の衝突から戦争につながる危険をはらんでいる。「持続可能エネルギーの選択」ではインドは核エネルギーに依存する政策を採りつつあるが、ヒマラヤ山脈からの豊富な水資源や、バイオマスなど自然エネルギーをもっと利用するべきであるという意見があった。また核兵器と核エネルギーを同一の原子力企業が生産しているという批判もあった。

「ジャデュゴダ・ウラン鉱山周辺の住民の健康被害」では住民の間に先天奇形、悪性腫瘍、流産率、不妊率の上昇、65歳以下の死亡率の増加など深刻な被害が出ている。これらの住民はインドでも貧困層に属するが、インドウラン企業からの経済的補償を受けて生活水準は他の村よりも高いけれども、これらの健康被害は有意差が認められている。ウラン鉱山の経営者は富裕層でありインドの極端な格差社会の問題も浮き彫りになっている。住民代表が会議に出席し被害の状況を切々と訴え、被害状況の映像もあり深刻な状況が理解できた。このウラン鉱山による被害状況は日本の小出氏(京大チーム)が調査したことも報告された。この問題は世界中のジャーナリストが取り上げるが、この10年少しも事態は改善されてないといわれている。これはIPPNWインド支部であるIDPDの調査発表であるが、住民、弱者の立場からの疫学調査に基づいた告発はIPPNWの重要な活動で、JPPNW 、PANW(反核医師の会)も見習うべきであろう。

 多くの分科会のうちで出席したのは「化学戦、細菌戦及び地雷の影響」で、イランの女子学生たちがイラク・イラン戦争及びフセインのクルド人攻撃において使用された化学兵器の凄惨な被害について報告した。地雷についてはエジプトの代表より第2次大戦でエルアラメインの英独攻防戦で使用された双方の地雷がいまだに砂漠に埋まったままで場所の特定が困難であるとの発言があった。細菌戦の発言はなかったので以下のコメントをした。

「第2次大戦中、中国大陸において日本軍は細菌兵器を中国人に対して使用し、40万人ほどの死亡者が出た。またハルビンに731部隊本部を設立し、医師、医学者が細菌兵器のための人体実験、生体解剖などの戦争犯罪が行われ、約3000人の中国人が殺害された。医師医学者は、その行為に対し責任を問われることなく、現在に至るまで、その総括解明謝罪はない」そして「戦争と医学」英文パネル集を配り、パネルの一部を展示ブースで展示した。ただ展示ブースが会場の中庭に設けられた天幕で区切られた場所で、パネルの固定が困難で風にあおられ、はがれやすく維持するのに大変な苦労をした。先発組みは原爆被爆者の写真パネルと9条関係資料、バッジを用意したが、短時間でなくなったということである。その他の分科会では英国MEDACTの報告『イラク戦争における健康への影響』に参加した。MEDACTがイラク戦争開戦以来5年間のイラクの医療、健康被害を調査した詳しい報告があった。イラク人医師への脅迫、迫害により国外避難医師の増加と医療機関インフラの破壊により医療はほぼ壊滅的打撃を受けている。占領米軍、イラク政府も、それに対して有効な対策が取れていない。そのため、明らかな疾病構造の悪化がみられるという内容であった。出席できなかったがICBUWの振津かつみ氏が「戦争における劣化ウランの健康被害」というテーマでプレゼンテーションされた。その中で[1]各国の政府 に対し、ウラン兵器の環境・健康への危険な影響を正しく評価した 報告書を国連に提出するよう早急に働きかけるよう[2]医療と 人々の健康の問題に携わる専門家としてウラン兵器の健康影響の問 題についての科学的評価とその影響への憂慮を表明する見解を明ら かにしよう[3]この問題に取組みウラン兵器禁止を求める医師 の国際ネットワークをスタートさせよう[4]バスラの医師達に よる疫学調査プロジェクトへの資金と科学的内容の両面での支援を [5]これらの活動へのIPPNW国際としての支持を求める。これら5項目の緊急の提案を、Dr. Angelika Claussenと共同で 行われた。IPPNW国際評議委員会でも提案され、劣化ウラン問題もIPPNWで、やっと動き出したかという感じがする。主催がJPPNWとなっていたのが意外であった。JPPNWの分科会は「広島・長崎の遺産から北東アジアにおける非核地帯の設立へ」というテーマであったが、他の分科会と重なり出席できなかった。日本からの参加者も多く別に報告はあると思う。

 会議は2棟のVP House内のホール、会議室で行われランチは中庭でビュッフェ形式、展示ブースはそのまわりの天幕に設けられた。分科会の一部はテント内で行われ施設は良いとはいえなかった。ランチではナン(インド風パン)や種々のカレーはおいしかったが、生野菜にはハエがたかり、決して衛生的ではなかった。そのためか筆者は帰りの機内で激しい下痢と腹痛になやまされた。

 11日の午前の全体会議に出席したあとデリー市内をバスで2時間ほどまわった。オールドデリーに入ると土ぼこりとおびただしい数の三輪タクシーを中心とした自動車、バイク

による排気ガス、人間の多さに圧倒された。

 帰国前にホテルに全員集合、各自の感想と総括を行い成田組は一足早く空港へ、我々関空組みは23時15分発AI314便で短いインドを後にした。